悲しみを乗り越えて ひとり ひとり 斗う
『仮面ライダー 1971-1973』は「誕生1971」「希望1972」という2編の仮面ライダーの小説に、書き下ろし「流星1973」を加えて1冊にまとめた本です。
ショッカーに改造された城南大学の学生・本郷猛が仮面ライダーを名乗りショッカーと戦うという大筋は一緒ですが、TV版と決定的な違いがあります。
それは本郷猛の戦いが孤独で絶望的なものであるという点です。
仮面ライダー2号・一文字隼人や多くの仲間と共に戦ったTV版とは異なり、仮面ライダーは本郷猛ただ一人。共に戦うアンチショッカー同盟すら目的が「ショッカーになりかわること」であるため、共闘はするが信頼はできないという関係。
独りでは戦えないが絶対的に信頼できる者はいない。あまりに孤独な戦いなのです。
恋人に裏切られ、頼れる仲間も無く、同じショッカーの被害者である怪人たちを手にかけ、何度も戦う意思を砕かれる本郷。国家どころか有史以来人類を陰から支配してきたというショッカーに、なぜそれでも一人立ち向かうのか。
目の前の涙を止められるのなら、人ならぬこの腕で止めてみせる。
平和な日々を失ったことすらも誇りに変え、覚悟を決めて心が折れかけても何度でも立ち上がる本郷猛の姿は、子供向けのTVシリーズでは描ききれなかった「ロンリー仮面ライダー」のもう一つの姿と言えます。
……さて、この小説。仮面ライダーに関する知識が無くても問題なく読めますが、1号からV3まで、欲を言えばZXまで+原作漫画くらいの仮面ライダー知識(ゲルショッカーの最初の怪人がガニコウモルであるとか、ショッカーの地獄大使とバダンの暗闇大使は従兄弟同士とかそれくらいの知識)があるとより楽しめる設定が散りばめられています。わかる人は登場人物の名前や、怪人の設定を見てニヤリとする楽しみがあるでしょう。
その逆に、なまじライダー知識があるだけに予想を覆される描写もあったりするのでそれはそれでまた楽しいところです。
加えて「走行中の変身でバイク(サイクロン)まで変身するのは何故か」「ショッカーが兵器の製造ではなく人体改造や人間と他生物の融合に重きを置くのは何故か」など、番組上の演出に対して意味を持たせているのもライダーファンが楽しめるポイントになると思います。
ここまでライダーの話が主になりましたが、この小説の魅力はショッカー側にもあります。人間を改造して怪人を造りだしながらも、その目的は人類の未来のためであると主張するショッカー。
その中でもショッカーの幹部<大使>(TV版の地獄大使に相当)は表舞台でショッカーと政府や企業との交渉などを行う幹部ですが、非常に魅力的な人間臭さを醸し出しています。
敵である本郷に頼みごとをするためにスーツの膝を汚して土下座する<大使>。
どうしても映画のタイトルを思い出せないけど、気を使って答えを誰かに聞こうとする部下に「教えてもらっちゃ意味がない」と意地になる<大使>。
なのに本郷猛にあらすじまで説明してなんて映画か知らないか聞いちゃう<大使>。
無骨で生真面目な本郷猛と、自由で飄々とした<大使>。
戦うために人間らしさを失っていく本郷猛と、政府や企業と関わりあって人間味を見せる<大使>。
人間の暗部に希望を見出せない本郷猛と、人間の暗部も含めて利用し人類の未来を考える<大使>。
表の主役である本郷猛が人間のために戦いながらも心を暗く蝕まれ周りで、<大使>が人間の未来のために善も悪も利用し明るく立ち回る様はこの作品の影の主役と言っても過言ではなく、見事なコントラストを描いて作品に深みを与えています。
この小説は「仮面ライダーの物語」として読んだ後に、「<大使>の物語」として読むこともできる、光と影の物語なのです。