班目ハーレムのその陰に
げんしけん 二代目の十二(21)<完> (アフタヌーンKC)
- 作者: 木尾士目
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/11/22
- メディア: コミック
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『げんしけん 二代目』の最終巻が発売されました。
『げんしけん』(以下・無印と呼称)の主題がオタク系サークルの人間模様だったのに対し、『げんしけん 二代目』の主題はOBの斑目晴信一個人の恋愛模様(通称・班目ハーレム)に変化。
かつて片思いしていた相手を忘れられずにいる班目に対して、何故かサークル関係者を中心に班目の彼女候補が次々と現れ、最終巻ではそのハーレムの結末が描かれました。
その感想をあちこちで読んでるわけですが
「俺たちの知ってるオタクじゃなくなった!」
って感想が多いですね。
これはこういう感想を書いた人たちがだいたい無印の登場人物と自分たちを重ねられた世代で、二代目がそれから10年近い年月が経ってからの連載だからでしょう。自分も無印の頃に大学生だった世代です。
(『げんしけん』2002~2004年、『げんしけん 二代目』は2010~2016年に連載)
また、無印げんしけんの部員が男性中心だったに対し、二代目ではほぼ女性のみになったという要因もあるのでそりゃ当時の男性読者からしたら違和感しか無いでしょう。「これこそ俺たちの世界だ!」って言われる方がビックリだ。
でまぁ、そのあたりはいいとして…これらの感想の中でみんな口を揃えて言ってて違和感を感じた事がありました。
それが
「クッチー(朽木学)はどうでもいい」
「あいつがいなかったら良作なのに」
という主張。
マジで?クッチーがいらない?
クッチーこそ「俺たちの知ってるオタク」そのものの姿じゃないの!?
朽木学はげんしけんの問題児です。
二代目においては卒業をひかえた3年生となっていますが、普段の空気を読まない言動などから他の現役部員たちからはほぼ相手にされていません。女性主体のサークルでセクハラめいた発言も多いから当然でしょう。
でもね、クッチーってオタクの悪い所を寄せ集めた悪い意味の等身大キャラじゃない?
変に露悪的で、悪ノリして、根は臆病で、何も為さず、見た目もさえず、文句は多く、かと言ってみんなを敵に回せるほどの悪人でもなく、女性の多いサークルでひょっとしたら彼女くらいできるんじゃないかと期待はすれど具体的な行動は無い。
そんな彼は「俺たちの知ってるオタク」に含まれないの?
みんなはクッチーを小馬鹿にできるほど立派な人格のオタクとして生きてきたの?
自分の狭い観測範囲で恐縮ですが、男性オタクというのはクッチーと似た側面をどこか持ってるもんだと思うのですよ。自分だってそうです。何者にもなれなかった自分はクッチーとなんら変わりは無いのです。
そんなクッチーがさ、卒業してさ、「とりあえず」って感じだけど花束と寄せ書きの色紙もらってさ、感極まってマジ泣きしたんだよ?
これは切って捨てて良い余分なシーンなの?
キモいからいない方が良かったって言っちゃうの?
自分が『げんしけん 二代目』の最終巻を読んでウルッと来たのここだったよ。
ダメなオタクの代表のようなクッチーが、たとえとりあえずでも祝福されてるんだもの。
ハーレム作品として見たらクッチーは確かに死ぬほどいらないキャラかもしれない。
でも、オタクサークル作品として考えたら彼はもう少しだけ目を向けられても、労いの言葉をかけられてもいいんじゃないかと、そう思うのです。